父の病気
もう四回ほど「もう長くない。ご家族の方は覚悟しておいてください」といわれた。
そのうちの二回は様態か安定しているときで、もう、助からないのは充分理解しているのだから、何も落ち着いているときに家族を落ち込ませることはないのではないかと医師を逆恨みもした。
毎日通っている母に過度の期待をさせないためであることはわかっているのだけれど・・・
一時期は人口呼吸器をしていたが、一ヶ月後は酸素マスクもはずれ六人部屋に移れる時期もあった
鼻から栄養をとる食事。口からの水分摂取は禁止。
なのに父は「水!」「ビール」「焼酎!」と叫び足をバタつかせ、歩けないのにベットからでようとする
鼻から栄養剤を入れているのにもかかわらず、チューブを抜いたりしたため、病院側も手をしばりお腹にベルトを巻く「拘束」を行った。
ワンマンだった父がそんなことをされるのは、かなりの屈辱だったのであろう。
目に涙を溜めながら母や私に「拘束を外してくれ、家に帰してくれ」と訴える。
家族のいる間は、拘束は外してもらうようにしたが、外したら外したでベットから出ようとするはチューブや点滴は抜こうとするは大暴れ。私たちがいない間にに何かあってはならないと帰りには、再度、拘束してもらうのだが、その時はその時で看護師さんにもキックを入れるなどものすごいパワーで応戦していた。
人一倍ワンマンな父は、相変わらず自分のことで精一杯。体が苦しければ一層のことそうだろう。
私や母も一緒になって父を押さえつけると「お前たちも病院の味方か?」と憎しみの目で私たちを見る。
「自分がいなくなって、好き勝手なことやってるだろう」と私たちに悪態をつくのは、もちろん毎日欠かさず面会に来てオムツを替えたり布団をかけてりと一生懸命世話をやいている母に対して「お前には、この苦しみはわからない。お前も苦しめ!!」といったときは、背筋が凍りついた。
同じような病状の人はたくさんいるのに、なぜ父だけはこんなに大暴れして悪態をつくのか?
毎日面会に来て世話をやいている家族なんてほとんどいないのに・・・それが当たり前だといわんばかりの態度。昔からのワンマンぶりが思い出される。
私は、こんな父の姿はみたくないという拒否反応から酸素マスクが外れてから一ヶ月間は、仕事を理由に土日のみ病院を訪れるようになった。ここ数ヶ月は、ほとんど病院・会社・自宅の往復で過ごしている。
そして12月の中旬の平日。病院から「今なら意識もあるので娘さんを呼んでください。」と連絡があり病室に行くとまたもや人工呼吸器をつけた父の姿。その姿を見たときは、手を握り締め私も号泣した。
職場にも事情を話し三日間仕事を休んだ。
そして現在は人工呼吸器ははずしたが、またもや酸素マスクが手放せなくなり、以前よりも呼吸は荒くなってきている。意識はまだあるが相変わらず足をバタつかせ幻覚を見ているのか何かが見えるのか何もないところを指差し怯える。
人は死ぬときに何が見えるかで今までしてきたことがわかるのではないかとさえ思った。体が思うように動かせなくなったのが悔しいのか歯軋りをするようになってきた。きっと悔しいのだろう・・
昨日の先生の話ではレントゲンの肺の写真は真っ白で今年持つかどうか・・・?ということだった。
本当なら私も毎日病室に通い父の側にいてやらなければならないのだが、どうしても長い時間、父のいる病室にいられないのだ。おととい休みで長時間そばにいたら帰ってから気分が悪く半日以上おきられなかった。
情けない・・
母は、父が一人だと可哀想と面会時間はフルで病院につきっきり。
「お母さんが面倒見るからあなたは、来なくていいわよ。」と気丈にいう。
母の父に対する愛情はすごいものがあると思う。
それに引き換え娘の私の態度は自分のことながら情けない。
でも、どうしても母のようにはできないのだ。
今は午前中、母を病院まで車で送り、私も夕方一時間ほどいて母と一緒に帰るパターンになっている。
家にいても何も手につかず、母からの緊急の電話に怯えつつ、家で待機する毎日。
今日は家事する気力もありません・・・。
病院に行きいつものように家に戻りいつものようにベットで眠られることを祈るばかりです。